ケイエスヨシゼン号引退式
2001.12.5、園田競馬場
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引退式の顛末
2001年12月5日。ケイエスヨシゼンの引退式が園田競馬場で行われた。
ケイエスヨシゼンは7月25日、姫路のサマーカップにて最後の実戦を終えた後、北海道に放牧に出され(因みにこれがヨシゼン自身、競走馬生活において初めての放牧、つまりは3歳夏の入厩以来、他地区遠征の出張を除いては、6年の間、一度も厩舎を空けることがなかったそうだ)、今回引退式に際し、園田に戻ってきたとのことである。
引退式の時間帯は第6競走の確定後。このため、6レース発走前あたりから相当数のお客さんが、ウィナーズサークルを取り囲んだ。そして6レースが終わると、ヨシゼン最後の姿を目撃せんと、コース沿いに隙間なく、大勢のお客さんが陣取った。カメラ持参のお客さんも多い。写真系と思しき人のみならず、むしろその姿は少数派で、ほとんどが日頃は競馬場で写真撮影をすることもなかろうといった方々(コンパクトカメラや使い捨てカメラの数がいっぱい!)。このあたりに、ケイエスヨシゼンが、ファン広くに愛されたということが色濃く窺われた。そしてウィナーズサークルの囲いには、「ケイエスヨシゼン号引退式」と記された横断幕が張り出され、その時を待ち構えている。
ウィナ内に馬主さん、管理されていた保利照美調教師といったヨシゼンの関係者、プラス、吉田アナが現れる。程なく、吉田アナの司会進行で、引退式が始まる。主催者である組合の人間からヨシゼンの関係者に感謝状が読み上げられ、記念品が授与される。馬主さんが、主戦であった岩田騎手の、結婚の際の媒酌人であったという縁から、岩田騎手の奥さんと、息子さん(多分長男の一誠くん)がプレゼンターになって、それぞれ馬主さんと保利調教師に花束を贈呈する。続いてオーナーサイドの方からの挨拶が。その間、今日の主役のケイエスヨシゼンと岩田騎手は、旧ウィナの向こうの脱鞍所で、出番を待っている。
ウィナでのセレモニーが一通り済んで、入場口より本馬場に、ケイエスヨシゼンが岩田騎手を背に、厩務員さんに曳かれて姿を現す。お客さんの目の前、外ラチ沿いを4コーナー方向へと歩んでいく。
背負うゼッケンは全日本アラブ優駿のもの。顔には7歳の頃着用していた色である、水色のメンコを被って。その姿は4ヶ月の放牧で胴回りが格段に増し、既に種馬の体型に近くなっている。季節柄もあってか、全身に冬毛が出ており、彼が現役の競走馬を退いたのだという事実を、観る者に知らしめている感じである。ゼッケンと鞍の下には厚く毛布が敷かれ、鞍も恐らく勝負用のものではない。しかし、それでもいいのだ。今日はレースではないのだから。
鞍上の岩田騎手は、今回は単走であるから砂を被ることなどないところ、真っ黒で特大のゴーグルを着用している。感極まって涙で濡れるであろう、己の瞳を隠さんとしていようとは、想像に難くない。
直線入り口あたりで、厩務員さんの曳き綱を解かれ、おもむろに駆け出す。お客さんを前にした、園田競馬場での最後の走りである。場内放送で『蛍の光』が流れる中、楽走でゴール板前から1、2コーナー、向こう流しと通過していく。その間、ジャンボトロンには、全日本アラブ優駿の映像が映し出される。2周目三角、敢然と先頭に立ち、イワノボーイ以下を封じて4歳日本一になったその姿である。
馬場のヨシゼンは3コーナーから4コーナーを回り、徐々にピッチを上げて最後の、まさに最後の直線へと向いてくる。いかにも彼らしい、口元を歪め、顔を外にひん曲げての力走。レース前の返し馬・キャンターのフォームそのままである。場内から拍手が起こり、そして、ゴール板を通り過ぎた。
厩務員さんに曳かれて登場
岩田騎手のゴーグルが、ね
最後の疾走へ
まずはジワリと
走り終えて、1コーナーまで戻るヨシゼン。ここで再び厩務員さんに曳き綱を付けられ、ウィナ前まで戻ってくる。最後の口取り撮影のためにである。ここで舌をベロンとしつつ、歯を剥き出しにするところが、またまた何ともヨシゼンらしい。ゴーグルを外す岩田騎手、その瞳には、案の定光るものがあったような。
口取り撮影の時も、「クワァ〜!」と口を割って首を突き出し、武者震い気味にバタバタとするのもやっぱりヨシゼン。この時「こっち(お客さんの方)向いて下さい。」と声を掛けられず、こちらを向いてもらえなかったのはちょっと残念。
以上で引退式一連の段取りは終了。鞍上から岩田騎手は下馬し、ヨシゼンは厩務員さんに曳かれて、入場口へと引き揚げていく。ここで次の第7レースの本馬場入場。出走馬が、ヨシゼンの目の前を、馬場に登場してくる。サラの3歳以上条件戦、出走馬は全て3歳4歳の、彼より遙かに若い格下たち。史上に不朽の名を残し、去り行くアラブの老優と、現在、そして今後、兵庫県競馬の主流にならんとするサラの、それも底辺を走る馬たちとが、ここで交錯する。アラブ対サラの時代状況、その象徴をここに見出したのはワシだけであろうか。サラの隊列に、先に進路を横切られて、「ケ〜!」とばかりに歯を剥くヨシゼン。何を思う?
式の終わったウィナでは吉田アナが、7レースの騎乗のない岩田騎手を暫し引き留めてインタビューをしていた。三冠の懸かった六甲盃を前に、岩田騎手がプレッシャーで吐きそうになっていたといったエピソードなどを絡めつつ。
こうして、引退式全ての次第が終了し、場内は平時の雰囲気を取り戻した――
ラストランを終えて
ゴーグルを外した岩田騎手の目には
口取り撮影の光景
「クワァ〜!」と武者震い、最後までヨシゼン
◆
極私的に思うことなどを少し
さて以下は個人的なこと。「あーあ、引退式でヨシゼン目の前にしたら、きっと涙してしまうんやろな、ワシ。」と、当初は覚悟していたのだが、直前になって、ふと思った。
「志半ばで頓挫して去っていく馬ならいざ知らず、栄光の時から苦闘の時代を経て、衰えた最後まで力の限り走り続け、そしてその能力を燃焼し尽くして、ヨシゼンは去っていく。充分に走り切って、全てを成し終えたであろうその姿、むしろ晴れやかに見送るべきかな。」と。
とはいうものの、ラストランの時は、やはり胸がキュンとなったというのが、正直なところである。
ただ、感極まって堪らなかったという点では、最後のレースとなったサマーカップのレース後の方が、個人的には遙かに上。「もうこれ以上の走りは無理」ということを観る者に悟らせるに充分な、敗退のレース。思うように追い込めず、終いはヨロけながらゴールに辿り着くヨシゼンがそこにいる。そして平松騎手が引き揚げ際に、ゴール前までヨシゼンを導いてきてくれて、鞍上から漏らす。曰く「かわいそうやけどなあ、歳が歳やから、しょうがないなあ。」。つまりは「もう充分やろ。」ということである。時代が時代であれば見せずに済んだ老い、限界。そこまで走り切ってくれた、走らざるを得なかったヨシゼンの馬生・・・これらがどうしようもなく想起されて。
外ラチ沿いを歩く、そして最後の走りを披露するケイエスヨシゼンを目の当たりにして、「何か声を掛けようか」などと思いつつも、その寸暇も惜しい気がして、カメラのファインダーを覗き込み、シャッターを切った。しかし実のところ、声を掛けようにも、ヨシゼンに対する、万感の想いを表現するに足る言葉など、到底思いつかなかったというのが本音でもある。
この文章においても然り。筆が想いを越えるべくもない。これではプロの物書きとしては失格であるが、ワシは一介の素人に過ぎないので、そんなことはどうでもいいのである。一ファンの駄文、それで構うことはない。
最後に。これはある意味、痛恨の失敗談でもあるのだが。
ヨシゼン最後の疾走、彼がゴール板前を駆け抜けんとするその時のショット、実はワシ、カメラトラブルで撮れていない。ということで、ワシのアラブなカメラオヤヂ人生において、大きな空白がここに残ることになった。
しかし、ちょっとセンチではあるが、この一件は以下のように解釈している。
――
2000年の摂津盃
、シャインマンリーとの同着優勝のゴール前、ワシに
ベストショット
を撮らせてくれた、競馬の神様と写真の神様が、今回は「ここで写真が残せずとも、もうエエやんか。写真に頼ることなく、その姿を、己の心に刻み込め!」とばかりに按配したのだな、と。
ありがとう、そして、じゃあね、ケイエスヨシゼン――
「さらばぢゃ!」
2001.12.13 記
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