1999年、アラブ系重賞観戦報告ダイジェスト
その1:1月〜6月
これらは1999年中に競馬場で現場観戦したアラブ系重賞についての覚え書きです。 一部重賞ではない特別レースも含みます。
なお、これらはスピードハナキオーさん宛のEメールの文章に加筆したものです。
1月2日、アラブギフ大賞典(笠松、1900m)
古豪オールザドラゴンwith安勝、後方捲り差しで勝利。2着は人気薄牝馬アスターダルシャンの追い込み。 前年のアラブQC覇者サンデンビスタは不発の5着。差し馬のレース。
1月3日、新春賞(園田、1800m)
逃げる毅ノースタイガー、捲る平松サンバコール。先行しつつも一旦バコールに捲らせた太エイランボーイが、 直線2頭の真ん中を割り差し切り勝ち。エイランと太のレース巧者振りが光った。2着サンバコール。 3着ノースタイガー、4着1番人気のケイエスヨシゼン。ヨシゼンは今年から二三から千八に短縮された施行距離に泣いたか。
3月3日、播磨賞(姫路、2000m)
道中大差逃げの毅ノースタイガー、そのままぶっちぎりの逃げ切り勝ち。毅涙の重賞初勝利。 2着人気薄のビソウミラクルが先行粘り込み馬券は大波乱。3着岩田ヤングメドウの追い込み。 サンバコール体調不良?で不発の4着。本命太エイランボーイ、他馬にマークされ斬れぬという弱点露呈で5着敗退。
3月21日、ローゼンホーマ記念(福山、1800m)
泥田の如き不良馬場、マツノホープとの叩き合いを好位からアキフジクラウンが制す。後のアキフジ時代の布石。 道営から鳴り物入りで移籍してきて楽勝の2連勝で臨んだ大本命ステイブルラインは、3着敗退でトホホ生活の始まり。 4着モンゴルムーンの逃げ粘り。
4月14日、菊水賞(園田、1870m)
園田競馬場、コース改修後初の重賞。大本命岩田ミスターオリビエ、気性難露呈で折り合い欠き3着敗退。 素質馬太ワシュウジョージが捲り差し一気でまず一冠。一躍兵庫4歳No.1の座に。 新コースの3・4コーナーと坂をいち早く手の内に入れた太jkの勝利。 逃げて折り合った人気薄田中リスペクトが我慢の2着。これも馬券は大波乱。
5月4日、若葉賞(園田、1700m、重賞ではなく特別競走)
全日本アラブ優駿トライアル。天候雨、コース上に水の浮く不良馬場。 逃げた谷川ナカトップアスワン、4コーナーで尋常でない程外に膨れるも立て直し差し切り勝ち。 2着は終始2番手でまあ折り合った政宏スマノタイテイ、3着好位内から狙った名古屋のブラウンダンディ。 アスワンの逸走が鮮烈な印象を残した。
5月19日、兵庫大賞典(園田、2400m)
兵庫All Starsの競演にして日本アラブの頂上決戦。永島ノースタイガー、ゲートの出はイマイチながら当然ハナへ。 2番手条件馬田中エイユージョージ、続いて木村ヤングメドウ、政宏エイランボーイの森澤勢と太タッカースカレー。 岩田ケイエスヨシゼンと平松サンバコールは例により道中は後方から。 2週目2角、バコール発進、ヨシゼンはここで仕掛けを遅らせる。 同時に前ではエイユーが後退、メドウ、そしてエイランがノースの外へ併せ、潰しにかかる。 3・4コーナー、ノースは砂の深い内に完全に閉じこめられた形に。 そして直線、先頭はメドウから代わってエイランに、森澤軍団二段駆けが決まったかというところ、 ケイエスヨシゼン、馬場の真ん中怒濤の追い込み、エイランボーイを並ぶ間もなく抜き去り優勝。 2着エイラン、3着先に捲って再度ヨシゼンに抜かれたサンバコール。4着メドウ、5着ノース。 岩田、ウィニングランの鞍上で感極まる。ワシの選ぶ年間ベストレースがこれ。
5月20日、楠賞全日本アラブ優駿(園田、2400m)
逃げる谷川ナカトップアスワンの2番手に付けたミスターオリビエ、4角先頭で押し切らんとするところ、 これをマークした宇都宮のホマレスターライツが捉え、最後は断然の1番人気、 太ワシュウジョージの追い込みを封じてアラブ4歳日本一。2着ワシュウ、3着オリビエ。 北関東の怪物ホマスタ、地元戦からこれで15連勝、ついに全国にそのベールを脱ぐ。
兵庫大賞典、パドックのケイエスヨシゼン
これが気合いの乗ったヨシゼンの顔だ!
楠賞、パドックのホマレスターライツ
鶴首、眼差しは爛々と
6月6日、瀬戸内賞(福山、1600m)
JRA4歳補助馬限定・交流競走。 高知の大物候補生、尾花栗毛で三白眼のパワーレイク、差し切り楽勝。 1番人気の益田ニホンカイプリウス、中団から全く伸びずブービー惨敗。筆者はヘナヘナ・・・ 東京優駿当日を福山の地で脱力して過ごす。
瀬戸内賞、優勝パワーレイクの口取り
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