ニホンカイユーノス(37KB)
ニホンカイユーノス、ラストランの勝ち名乗り
1998年12月9日、園田金盃の口取り撮影

 PCの過去ファイルゴソゴソしてたら発見。コンパクトカメラで撮ったので出来はご容赦を。これぞ蔵出し!

トップページ画像掲載:2022.12.21〜2023.6.9

引退から20年もの月日が経って、関係者の証言が2件、Web上で確認されたので
以下に引用して記録に留めたいと思います。

園田姫路競馬"CHARGE Advanced" CLOSE UP INTERVIEW「座談会・さらば、平成」後編
元のサイトURL:http://charge-ad.jp/closeup/closeup201905-2/
2023.1.6 閲覧
 (前略)
竹之上(次男:実況アナウンサー(当時)) で、ロードバクシンがその(平成12年)の翌年に三冠馬になる。
    ところが、そのロードバクシンがアラブのサンバコールに負けちゃった。

木村(健:元騎手、調教師)  負けたよね。

北防(敦:「競馬キンキ」記者)  あれは衝撃やったけど、でもサンバコールという馬は強かったよ。

竹之上 タケちゃん、自分が乗ったアラブでいまでも憶えてる馬は?

木村  う〜ん、あれやね。ガバナマイウェー。初重賞(アラブ優駿)を獲った馬。
    泣きましたよ(笑)。
    吉田さんがインタビューしてくれてね…うれしかったな。

竹之上 当時のアラブは本当に強かったと思う。
    ニホンカイユーノスなんてね…。

木村  それにエーランボーイ、ヤングメドウ。
    ぼく、結構、森澤厩舎の馬に乗せてもらってますもんね。
    ヤングメドウの2400mのレースで、馬がグイグイ行く。
    どうやって引っぱろうかと思った。森澤先生から言われましたよ。
    「まだまだやな…」。折り合いが大事やなと思ったのはあの馬に教えられてからです。

三野(孝徳:元騎手、有限会社HRA(HorseRacingAdvertising)代表)
    アラブのほうが馬力的には強かった気がする。

木村  攻め馬もちがうしね。アラブ馬は全体的に丈夫やった。

北防  アラブで一番強いと思ったのは、ぼくはニホンカイユーノスやな。
    サンバコールの決め脚は相当やったけど、レースのうまさでいえばユーノス。

竹之上 そんなアラブの時代があって、アラブ単独の最後のレースが平成16年。
    ここでひとつの時代が幕を閉じた。
 (後略)

小牧太連載【8】怪物ニホンカイユーノスに乗るとヘトヘトに(「東スポ競馬」2022/11/04付)
元のサイトURL:https://tospo-keiba.jp/komakifutoshi/22534
2023.1.6 閲覧
 (前略)
数々のアラブの名馬にまたがってきた。アラブ優駿もコノミテイオー、キタサンオーカン、タッカースカレーで3勝している。他にもオカノヒリュウ、ニホンカイユーノス、ワシュウジョージといった強豪に乗ってきた。アラブ晩年の歴史に小牧の名前は不可欠だ。

「ワシュウジョージは強かったね。あの馬は一度、JRAの長距離戦に使うプランがあったんよ。使っていれば面白かったんと違うかな」

 園田だけではなく、各地方のアラブ重賞を勝ちまくった。

「でも、怪物はニホンカイユーノスやったね」

 ニホンカイユーノスは「益田の怪童」という看板を掲げて、鳴り物入りで益田競馬場から園田にやってきた。しかし、移籍当初はなかなか勝ち切れない競馬が続いた。特に兵庫県3冠馬ケイエスヨシゼンには歯が立たなかった。園田と益田のレベル差と片付けられようとしていた。だが、小牧と曽和直榮には「こんなものじゃない」という確信があった。益田当時のビデオを何度も見返し、ある一点に小牧と曽和の考えが一致した。

「まさかやったね。こっちに来て、普通に乗ったら勝てなくなった。向こうでは道中から外々を回ってマクって勝っていたんよ」

 当時と同じようにゲートを緩く出して、向正面あたりから小牧がゴーサインを出す競馬に変えると、競馬ぶりは一変した。グイグイと加速をして馬群をひとのみにし、他馬を置き去りにしてしまうのだ。

「圧勝ばかりやもんね。怪物やったよ」

 ケイエスヨシゼンでさえ太刀打ちできなかった。まさしく当時のアラブ最強であり、小牧の感触からすれば、アラブ競馬史上最強と言っても過言ではない。

「でも勝つのは簡単なんやけど、とにかく体力が必要やった」

 正攻法の競馬では勝てないとわかってからは、後方からのロングスパートで誰よりも先に仕掛けなければならない。これが今のディープインパクト産駒のように、舌鼓ひとつで瞬時に反応してくれるのなら楽なものだが、エンジンがかかってトップスピードに乗せるまでは力で促す。まして地方のダートは深い。騎手もより体力を使う。

「あんなに簡単に勝てる馬はいないけど、レース後はしばらくヘトヘトやったね」

 ファンをうならせた規格外の強さの裏で、小牧は体力を振り絞って「怪物」を御していたのだ。勝利数、実績、そして記憶にも残る名馬との出会い。まさしく小牧はアラブ競馬の頂点に立っていた。「アラブで満足です」と言うのもうなずけるが馬産地、日本競馬の行く先はそんな小牧の思いとはまったく別方向にかじを切り始めていた。(講談師・旭堂南鷹)


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